夏川氏の座右の銘(下)

...何故なら「全力バリバリ!」と、
威勢良く言い切ったからなのです。
といのも、私が思う夏川氏の印象からは、
「全力バリバリ!」なんて野暮ったいことは決して言わない、もしくは、言ったこともないような人種だと思っていたからなのです。
何せ、夏川氏は育ちが良い人種なのですから。むしろ「全力バリバリ!」なんてぇーのは、数気合いや根性、反骨精神を支えにして、地べたを這って生きてきた私のような人種が座右の銘にするような言葉だと感じていたため、心底驚いたのです。
また、私の経験則ではありますが、辛労を経験したり、臨死体験など、
人生で多大な苦痛を味わった人がこのような言葉を座右の銘にしている傾向が高いというデータもあったため、これらの事柄とは無縁であろう夏川氏が何故「全力バリバリ」を自分のモットーとしていることが疑問でしかありませんでした。
それ故、「全力バリバリ」という言葉をどういう意味で使っていますかと、訝しげに聞いてみました。
すると、夏川氏は、「目的に向かって、自分の持っている力の限りを出し尽くすことです!」と、
またまた威勢良く言い切りました。
このことを聞いた私は、
夏川氏と出会ってから10年弱も経っていましたが、どのような過去を辿ってきかは一部分しか知らないのだと言うことに気づいたのです。
それもそのはず、カウンセリングを受けてきたので、とにかく自分の話をし尽くすことに集中していた私。
そんなことを今更ながら実感したのでした
このようなことがあった数ヶ月後に、
これまで私がイメージしていた夏川氏の印象が180度変わるという体験をすることになり、そこでやっと「全力バリバリ!」を座右の銘に選んだことが分かったように思います。
この話しについては、
また別の機会に記したいと思います。


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by inunosin | 2017-03-23 20:36 | カウンセリング中の思い

あるカウンセリングの折に、
自分自身が人生をどう生きたいのかと、
夏川氏に質問をされました。
私は、あまりに壮大なテーマの質問が来たため、
何だか虚を突かれたような思いになりました。
しかし、このことを隠すことに一生懸命になった私は、
そもそも、
この問いに即答できる人はいないだろうと、
答えられないことの悔しさから、論点をズラすことが目的となり、
その結果、では質問したあなたは実際答えられるのかと、悔しさからの怒りによるカウンターを仕掛けることで、内容のダウサイジングを試みました。
といのも、私の予測では、質問した夏川氏は、逆に聞きかえされたことで、
シドロモドロになり、
誤魔化したり、
話を変えたりするだろうと、
これまでの歪んだ側面からの経験則で予測していました。
しかし、そんなじゃそくとは裏原に、
間髪いれづに、
返ってきた夏川氏の言葉に、
私は自分の耳を疑いました。

つづく...

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by inunosin | 2017-03-23 08:18 | カウンセリング中の思い

ちなみに、夏川氏のカウンセリングでこのようなことを、私が言ったもんなら、「お金と時間がもったいないから、また考えを整理してから、再度やりますか?」や「悦に入っているんですか?」「また妄想?」と、話しの途中で打ち切られるという、なんとも不愉快な思いをすることがあります。

よく考えたらこちらへの配慮なのかとも考えられるのですが、その言い方が、毎回のようにはらが立つことから、その場は「はぁぁぁ?」とこちらも怒りを露わにしながら、食い掛かることが、多々あります。

しかし、後々になって、現実から目を背けるための理由について延々と述べていたのだということに、はたとき気づいたりするのです。今この時のように文章を記述している時にです‥‥


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by inunosin | 2017-01-17 22:20 | カウンセリング中の思い

前回からの続き‥

私の怒りの要因に関して、
夏川氏は下記3つのことが問題点としてあげらると、
私に話しました。


1:自分の思い込みで行間を読む

私は他者とコミュニケーションをとる際、自分の希望的観測によるイメージばかりが優先してしまい、無意識で「きっとこうだろう→そうであってほしい→絶対そうだろう!」というような勝手な思い込みを、本来であれば事実が入るであろうその行間スペースに、入れこんで見てしまい、自分から盲目状態に身を投じる。


2:対象者を選ばず敵に塩を送る行為

幼少時、祖母と母から人に情けを持ちなさいと叩きこまれていた私は、いくらこちらに多大なる害を行った憎き相手であれ、辛そうにしていたり、または、反省の色が垣間見える時に、自分が有利な立場であったら、弱みにつけこまず、逆にその苦境から救うこと、もしくは、自分がいる有利な立場から、不利な相手のところまで降りることで対等な状態になりさげる。


3:横柄な受動性と謙虚な主導性

自分の希望的観測により生じた誤解から、
相手に裏切られたと勝手に思い込み立腹。その相手が自身の行為を反省するように、素っ気なくしたり、すかしたり、別件で責めたり、不機嫌になることで、「あなたは私に悪いことをした」という示唆により、相手に反省心を持たせて謝らせるよう誘発。あくまで、相手に責任があるのだからと、私から謝れと言ったり、説をしたり自己責任が生じるようなことは行わず、「謝ったら許してやってもいい」というような、横柄なのに受動的な位置を取り、一方相手には謙虚なのに主導的な対応を求めるという無責任かつ、アンフェアな状態をつくろうとする。


以前から、私が怒りを覚える時には、
この3つの項目がほぼ露呈しているということを、
話しました‥

次回に続く‥



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by inunosin | 2016-08-07 23:54 | カウンセリング中の思い

前回の続き‥

この何日間のグツグツと煮えたぎる怒れる思いは、

夏川氏に吐露したことにより収束をむかえ、

落ち着くにいたり緊張が溶けたことにより、

安堵な思いから肩をなでおろしてました。

あたかも、問題が解決したかのようですが、

あくまで本題はここから。(このような時、

毎度の如く夏川氏に上記のような注意をされます)

今回の怒りについて出されていた宿題を提出し、

その内容に付いて、お馴染みのホワイトボードを使い、詳らかに解説した後、


夏川氏は、「今回のことについて、

私が受けていた印象を話しますね」という
普段はあまりない発言の後、

今回の私の怒りの元となっているであろう、

3つの要因をあげました‥

次回に続く‥


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by inunosin | 2016-07-25 20:06 | カウンセリング中の思い

前回からの続き‥

普段、怒りを表に出す私ではないのですが、

今回の出来事に限っては寝ても覚めても腹が立ってたって仕方がない。

それは、喉元から叫び上げて近くあるモノを叩きつけたい心境がエンドレスに続いているかのようでした。

また、こんな状態の時に限って、

もしくは、こんな状態だからか、

この怒りを助長させる腹立たしい別の出来事ばかりが、

面白いほど私の身の周りに起こり続けていました。

この駄目押しにより、

一触即発状態に。

自分自身でも限界に達していることの自覚もしていました。

これらのことを散々ながらも、

夏川氏に吐露し続けたことで、

自分はこれほどまで怒りに満ちていたのだということ実感したことで、

客観的に自分を見ることができ、面だっていた怒りは緩和。

どうにか本題の出されていた宿題話しの導入に部へ‥


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by inunosin | 2016-07-23 23:27 | カウンセリング中の思い


先日、複数の問題が積み重さっていたため、

電話カウンセリングを受けている折に、

「カウンセリング」の言葉の定義は?と聞かれ、

普段、心理学オタクなどと、公言しているのにも関わらず、

この質問は、

私にとって寝耳に水でした。

どうしてかというと、

イメージでは分かっているけれど、

言語化するとなると、何と言っていいのかが

分からなかったからなのです。

このような説明が淡々とできないほど、

「カウンセリング」の言葉の定義が答えられない

ということに激しく動揺していたのだと、
思います。

このようなプチ混乱を起こした結果、

夏川氏の質問に対し、

「クライアントが得たいと思うものが得られるものですか?」と、

断言すことを避けて、

及び腰になりながら答えました。

すると、夏川氏は淡々とした声で、

「カウンセリングとは、

相談することです」

と断言。

続けて、

「カウンセラーは、

クライアントが幸せになる援助、

あるいは、

不幸にならないための援助はします。

しかし、

クライアントが不幸になる援助はしない。

もしくは、

不幸になる道に進むようなら、

その行為を援助することはしません。

ただし、

クライアント自身が不幸になりえる道と分かったうえで、

その道を選択するのであれば、

その考えを尊重しますが」

と説明するように話してくれました。

このことで、


『カウンセリングの定義は』


*相談すること



『カウンセラーの定義は』


1)クライアントが求める幸せの援助

2)クライアントが現状より不幸になることを堰き止める

3)クライアント自身が選ぶ道を尊重する


ということが、

私の中で、

ハッキリと言語化されるようになりました。

この体験から、

問題を認識して、

その事柄を、

しっかりと言語化することで、

解決に向かって動き出す、

そんな感覚になり、

ともすると、

普段からのセッションも、

普段起こる問題においても、

このような原理が働いた結果、

解決が導きだされていたのでは?

と考えられるのでした。































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by inunosin | 2016-06-19 22:59 | カウンセリング中の思い

今回は一年前に夏川氏のカウンセリングを受けた折に話した内容を記したいと思います。
去年の5月7日に、毎回のように対面カウンセリングの予約を入れた後、急に「行きたくない」という思いに襲われました。その瞬間リスケジュールについての懇願をしようと思いましたが、時間を作ってもらったのに申訳ないこと、また、一度申し込んだ予約の場合、キャンセル料がかかるということもあり、気が進まないながらも結果カウンセリングを受けました。
前回セッションの続きを行っている際、
自身の思ったことを言いずらいながらも、夏川氏が普段から話す「どんなことを言っても構いません。受け止めるので」という言葉が手伝って、
急に行きたくなくなった旨を正直に伝えました。
すると、夏川氏は「よくその思いに気づきましたね。では、ホワイトボードに書いてみてください」と、それまで行なっていたセッションを中断して、「何故今日行きたくなったか?」というテーマのセッションに切り替わりました。

注釈:5月7日のセッションは、ある問題が解決に向かうことが予想されていました。

以下、私が記した内容です

「幸せになってしまうのではないか不安」
感傷的な自分が見れなくなる
落ち込めなくなる
ダメな自分ではいれなくなってしまう
みんなの期待を叶えられなくなってしまう(私が不幸であること)
「不幸であり続けることが自分の役目」

以上の事柄が露呈しました。

以下、事柄の分析

1:今回の事柄が問題解決に向かうことで
2:隠蔽していた「不幸であることが自分の役目」という問題が露呈
        ↓
3:自分が不幸を選択していたことを認めたくない
        ↓
4:今まで生きていた「自分」を全否定することになるから
5:しかし、本質的な解決に向かうにはこのことを自認する必要がある
6:そうなれば、これまでのアイデンティティを捨てなければならない
7:だから、行きたくなかった


以上、結論に至るまでの過程において

以下、夏川氏の比喩的アプローチ

  今回の解決は例えるならミカンの皮部分  
「この皮が剥がれる事で今回の問題は解決する」
「次に本質な的な問題である実の部分が露呈する」

これまでのアイデンティティを例えるなら子供   服を着ているような状態
「成長した現段階でこの子供服(アイデンティティ)は既にきつくなり、はち切 れそうになっている」
「そのため、今の自分の状態に合ったサイズへ着替える必要があある」
「ただし、これまでのアイデンティティである子供服は、ここまで生き延びる ためには必要不可欠であり、全否定されるものではない」
「これまでのアイデンティティを大事に保管しながら、新たな服に着替えるこ とは可能」  
(保管方法部分の解説は長文になるため割愛します)

これら夏川氏のアプローチにより、「何故今日行きたくなったか?」についての結論が導きだされました。そして、ここに至るまでの過程を認識したことから、これまでの子供服を大事に保管するとともに、新たな服に袖を通すことを決断したことから、本質的な問題解決へ向かうことができました。

「ちなみにこのセッションでは、咽びこもごも喘ぎ泣きました笑」


あれから一年、着替えたはずのはち切れそうな子供服(アイデンティティ)を、あらぬことからここ数日着ていたことに気づき、そそくさと元着ていた服に着替えてみたところ、既にきつくなっていたことが発覚。次のあたらし服に袖をとおしながら、これは温故知新の妙を得たのやも?という解釈に落ち着いたため、今回の記述に至るわけでした。

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by inunosin | 2016-05-06 23:19 | カウンセリング中の思い

夏川氏はとにかく、

私に目的を確認させます!

この質問され始めの時は、

正直苦痛でした‥

しかし、



指標(目的)
忘れがちですが、私たちは、動物です。
本来動物は生存するため、また、子孫繁栄というDNAに組み込まれた目的を持って生きているといいます。
しかし、人間は生存の欲求が満たされている場合、
次の段階の目的へ向かい行動をすると、マズローの5段階欲求説で言われています。
生存の欲求が満たされている現代。重ねて、情報や物が溢れて便利な時代にいる私たちは、沢山の誘惑に囲まれています。そなかで、未来に進み生きていく中で、目的なくして、現代社会を生きることは難儀なことではないのかと。

基準
では、何故難儀になるか?
以上のことを前提にすると指標は人生の地図に描かれた目指すべき目的地点のようなものと考えられます。
何故かというと、
例えばどこかに行く場合、目的地を決めてから、プランを立てて向かうのが一般的です。その際に、もし現在いる自分の位置、場所が分からなかったらどうでしょうか?どんなに便利なナビ機能を屈指しても、自分のいる場所が分からなかったら、目的地にたどり着くことはおそらく皆無に等しいといえます。
この自分の位置、場所になるのが自分の基準であると考えます。例えば迷路に入ることになったとしましょう。その際に道に迷い、現在地がわからなくなった。そのような時に混乱して、右往左往となり、本来ゴールに向かう趣旨より、迷っていることや混乱から解放されることが目的になってしまい最終的には、
泣いたり、凹んだり、諦めて動かなくなったり、はたまた、怒り狂ってみたり。もうゴールは死角に入っていくばかり。感情だけに支配されて、刹那的、場当たり的、破滅的な行動が趣となる。つまり、未来は断絶し今と過去しかない状態といえます。何故なら、過去の原因だけを基準にして、現在の自分が創られているからなんです。試しに未来の自分に向かって、後悔や原因追求をしてみると腑に落ちるかもしれません。
話が逸しましたが、今どの位置にいて、どんな場所にたっているのか、または、人生の道に迷い、取り乱した時に、目的地を定めた基準は、方位磁石のように向かうべき道へとベクトルをむけ、歩む道を教えてくれる。または、間違った場所にいる時には、ベクトルがクルクルと激しく回ることで異常なことを知らせてくれたりする。
要するに、自分の基準があると本来歩むべき道に戻してくれるのです。

手段
目的地(指標)がさだまっている場合、現在地(基準)からゴールへ向かう道筋を探すことができます。現在地が分かれば、スタート地点に戻って、改めてトライアルしたり、もしくは、準備をしていれば現在地からゴールの方角はどこに当たるかが分かります。ということは、どうすれば目的にたどり着くか、もしくは、どんな方法を使えばゴールに辿り着くのかなど具体的な答えを絞り出し、その手段を見つけることはできる。しかし、指標もなく、基準もなかったら、果たしてどうでしょうか?どうすれば良いのか手段すら見えないはず。衝動から出る場当たり、刹那的な行動に陥る、もしくは他者の指標、基準に流され動く他自分になり、ジプシーのようにフラフラと彷徨うことになるのではないのでしょうか。

以上の推察を前提に考えてみると、夏川氏に口を酸っぱくして目的はどこかと問われる、意味が分かったように思います。
何故か?その時の私は迷路に迷いこみ、後悔に苛まれては、場当たりで刹那に生きる廃人化したジプシーさながらの容態。勿論未来に向けた指標など全くなかったのです。
この記憶をやっとこさ思い出したことが所以ではないかと。

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by inunosin | 2016-04-18 19:48 | カウンセリング中の思い